こんにちは。見習い研究員のHIROです。
以前「いくら親切にしても、慣れてきたら当たり前だと思われるから、やりたくない」という趣旨の言葉を聞いたことがあります。
その時は「そういう考え方もあるなあ」くらいにしか思いませんでした。
でもよくよく考えてみると「ちょっと抜けていることがあるのでは?」と思ったので解説します。
どうやって判断するのか?
「せっかくの親切なのに、やって当たり前だと相手が思っている」
そもそもの話ですが、どうやってそれを判断するのでしょうか。
例えば親切にしたのに「ありがとう」など感謝の言葉や態度がなかった。
その人はいつもそういう態度なのでしょうか。もし違いがあるのであれば、どこかに原因があるはずです。
ただそれが親切をした側に見えていないだけなのです。
反対に「ありがとう」や感謝の態度を見せたとして、それが本心なのでしょうか。
内心を問題にすると必ずこうした疑問が湧いてきます。
だから内心の問題は考慮せず、自分がどうしたいかに集中することをお勧めします。
その方が、気持ちは楽ですし、いい行動を取りやすくなります。
相手が慣れたら何か問題ある?
慣れて当たり前だと思うことと、それに対して感謝することは違います。
「いつもご飯を作ってくれてありがとう」「いつも納期より早くあげてくれるので助かります」
このような言葉をいう人は、明らかに親切に慣れていますが、そのことに感謝しています。
これの何が問題なのでしょうか。
「相手が慣れて当たり前」になって困るのはおそらく次の2点でしょう。
①感謝されなくなる
②こちらの負担が大きくなる
まず①については人によるので、感謝が欲しいのであれば、感謝されるような工夫をするか、そもそも親切にしなければいいことです。
②についても同様です。負担が大きいならやめましょう。親切は自己犠牲ではありません。
自分が簡単にできることで、相手が喜ぶことや助かること。それが親切です。
親切ってそんなに頑張ること?
こうして考えてみると、親切に対して抵抗感を持つ人たちに共通しているのは、「自分への負担が大きい」という認識のようです。
世の中には親切の素晴らしさを説き、親切を推進しようという人がいます。
私も基本的にはそうです。これまで何度、人から親切にされたかわかりません。
その度にとても助かりましたし、温かい気持ちになりました。
だからそうした親切を増やしたいという気持ちがあります。
でもそれは押し付けるものではありません。そんな強制は親切とは程遠いものです。
人からされた親切を思い出してください。
その時親切にしてくれた人は大変そうでしたか?
恩着せがましく「当たり前だと思わないでくださいね」という態度でしたか?
むしろ爽やかで「こんなの何でもないよ」という様子ではなかったでしょうか。
まとめ
「親切は慣れたら当たり前になるから、やらない」ではなく、「慣れていて当たり前だと思っていることの中で、相手にとって価値のあることをやる」
これが親切を負担感なく行うコツの一つかなと思います。
今日はここまで。ではまた。
【工事進捗】
・このサイト全然検索でヒットしないなあ、と思って調べたらGoogleにインデックスされるのに3ヶ月以上かかるんですね。。
・だから普通はSNSとかと連携する。まあ趣味のブログなんでのんびりやります。
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