「親切なんて綺麗事にすぎない」
こんなセリフを聞いたことはないでしょうか。
この言葉に込められた意味は、
「どんな親切も何かの目的があってやっていること」
「その人を純粋に助けようと思ってやっていることではない」
というものです。
今回はこの言葉について考えます。
綺麗事とは
最初に綺麗事の意味から確認しましょう。
定義
毎度おなじみgoo先生に聞いてみました。
1 実情にそぐわない、体裁ばかりを整えた事柄
2 手際よく美しく仕上げること
出典:goo辞書
要するに、
中身がない
ということですね。
似た言葉との違い
綺麗事の意味をはっきりさせるために他の似た言葉との違いを整理してみます。
偽善
うわべをいかにも善人らしく見せかけること。また、そういう行為。
出典:goo辞書
「善人らしく見せる」というところがポイントですね。
本当は良いことをしていない、あるいは悪いことをしている。
意図的に善人さをアピールするので悪質です。
美辞麗句
美しく飾りたてた言葉や文句。
出典:goo辞書
こちらは言葉や文章だけなので、行動を伴う親切には使えません。
建前
原則として立てている方針。表向きの考え
出典:goo辞書
公開している考えと裏で考えていることは違うという意味です。
善悪の判断は入っていないことに注意しましょう。
親切は綺麗事か
言葉の定義をはっきりさせたところで本題。
親切は綺麗事かどうか考えていきましょう。
親切≠綺麗事
結論は
「親切と綺麗事は違う」
です。
まあタイトルでお察しいただけていたかもしれません。
では、なぜそんなレッテルが親切という言葉に貼られているのか。
中身の無い親切などない
そもそも親切は相手の役に立つ行為です。
中身=役立つ部分がなければ、親切そのものが成立しません。
綺麗事が親切として使えることはあります。
相手が落ち込んでいる時、悩んでいる時、傷ついている時。
綺麗事を言って慰めたり、励ましたりすることはあります。
しかしその反対はあり得ないのです。
親切さを利用する人がいる
親切をする目的は「相手のため」です。
一緒に自分の利益が発生することを否定はしませんが、こちらはあくまで副産物。
ところが世の中には相手から利益を得ようとして親切さをアピールする人もいます。
相手を信用させたり親密になったところで、悪事を働くのです。
親切さと綺麗事を混同してしまう
もう一つ、厄介な問題としては「私たちが親切さと綺麗事を区別できない」ことが挙げられます。
例えば、相手がこちらの重たい荷物を運んでくれた場合、相手にどんな意図があるのかわかるでしょうか。
「こんな少ない情報だけではわからない」というのであれば、どの程度わかっていれば良いのでしょうか。
さらに重要なことですが、取得した情報の真偽はどうやって確かめるのでしょうか。
つまり相手のやっていることを正確に理解する方法は無いのです。少なくとも今のところは。
「綺麗事」と批判されたら
「親切と綺麗事は違うのは理解できたが、相手が理解してくれない」
「自分の親切が真心からのものであると伝えるにはどうしたらいいか」
こちらの親切が批判されるのはなかなか辛いことです。
確実に相手の理解を得る方法はありませんが、いくつかできることはあります。
開き直る
相手に何か言うのはオススメできません。
しかし心の中で、
「綺麗事で何が悪い」
「そうですが、何か問題でも?」
と開き直るのはOKです。
むしろ積極的に行いましょう。
こちらが相手の心をどうこうできないように、相手もこちらの内心については手出しできないのです。
謝る
相手の言葉をサラリと流して、謝るのです。
というのもこちらの親切に対して、
「そんな綺麗事やめてよ」
「どうせ他に目的があるんでしょ」
などという人は動揺しているか親切を受けたくない人です。
反論や文句を言ったところで効果はありません。
「ごめんね」
「余計なお世話だった」
と言って立ち去りましょう。
注意点
相手から批判されたときに注意してほしいのは以下の点です。
反論してしまう
相手に「間違っている」と言っても何も変わりません。
自分の親切がいかに相手の役に立つとアピールするのも逆効果です。
反論しそうになったら、その場から離れましょう。
落ち込んで動けなくなってしまう
批判されたら傷つくのは当たり前のことです。
落ち込むのも仕方のないことです。
ただし相手の無理解によって、こちらの行動が制限される必要はありません。
こちらの親切を待っている人もいます。
少し休んだら、次の行動に移ってみましょう。
まとめ
・親切は綺麗事じゃない
・と言っても理解できない人もいる
・失敗しても次の親切にチャレンジしよう
ではまた!
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