こんにちは。見習い研究員のHIROです。
今度新しいシリーズ記事を書こうと思っております。
題して「身の回りにあるものから親切を感じよう」です。
しかしこの記事を書くにあたって考えるうちに、整理しておきたいことができました。
それが今回考えていく「役に立つけど親切じゃないモノ」です。
なぜそんなことを考えたのか
親切は疲れる
最近もそんなこと考えてましたね。
今回の私の場合は「親切(だけで記事を書き続けるの)は疲れる」ということです。
まあ要するにネタ切れになりやすいという身もフタもない話でして。。
ただ、ずっと親切という概念ばかりにフォーカスを続けていると却って理解が妨げられる気がしています。
考えれば考えるほど、親切は奥が深く、普遍的な方法を求める難しさを感じていました。
今親切についてわかっているのは、誰かを助けることができる素晴らしい面を持つと同時に、余計なお世話になったり親切を行う人にダメージを与えたり良くない面もあるということ。
バランスが大切なのですが、それをどこに求めればいいのか。
このまま親切のことだけ考えていいのか。
人間しか親切できないわけではない
そこでふと思いついたのが「親切は人間だけしかできないのだろうか」ということです。
例えば街を歩けば人間の困りごとを解決してくれたり、行動を助けてくれたりするモノはたくさんあります。
目に映るものだけでも以下のようなものが挙げられます。
親切をする主体を人間だけではなく、モノにまで広げれば親切の理解を深め、可能性を広げることができる。
モノの親切が持つ可能性
モノが親切を行うことができるとしたら、人間の労力はうんと小さくなります。
例えばモノには次のような特性がありますが、これらを活用できれば社会全体に親切を広げることができるでしょう。
疲れにくい
なんと言ってもモノは疲れにくいです。
疲れないわけではなく、使い続ければいつか機能を果たせなくなる時が来ます。
しかし人間と比べたらほとんどのものは圧倒的に頑丈に作ることができるでしょう。
再現性が高い
モノは決められた通りのことを行うのが得意です。
一度決めたことは何度でも繰り返すことができます。
再現させる能力が高いことで、親切の質を安定させることができます。
簡単に増やせる
工業化が進んだ現代では、モノをコピーして大量に作ることが可能になりました。
親切な人を増やすのは難しいですが、親切なモノを増やすのは簡単ということです。
交換・変更ができる
何かトラブルがあって機能が果たせなくなった場合、人を教育しなおしたり配置換えしたりすることにはコストがかかります。
それどころか場合によっては不可能ということも普通にあります。
人には経験の違いや生まれ持った適性があるからです。
しかしモノの場合は違います。
簡単に交換や変更ができます。
設計に不備があれば、再設計し、生産設備を変更し、より良いものを作り出すことができるのです。
モノの限界
メリットばかり書くと「じゃあ人間はもう親切しなくていいんだ」となりかねないので、デメリットもしっかり書いておきます。
融通が効かない
決められたことしかできないのがモノのデメリットです。
例えば自動販売機はお金がない人に商品をあげることがありません。※災害時は除く
しかし人間であれば、困った人にタダで商品をあげることがあります。
モノは細かいところまで見て判断できないのです。
人の温もりを感じにくい
モノから人間の温もりを感じることがないわけではありません。
家族からの手紙とか、親しい友人からのプレゼントとか、その人の思いや温もりを感じることはあります。
それでもモノが本人を超えることはありません。
直接家族とあって話すこと、友人と過ごすことには替えられないというのが現実です。
まとめ
・親切に関することだけ書くのは大変!(グチ)
・そうだ!人間だけ見ているからネタが尽きるんだ
・モノの親切の可能性を探っていこう!
ということで新シリーズに入る前ですが、やはりしっかり考えていかないといけません。
世の中に何か新しい価値が生み出せますように。
ではまた!
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