こんにちは。見習い研究員のHIROです。
しかし当時は「なぜ親切をするのか」についてはあまり明確にできませんでした。
と言うことで今回は親切をする理由についてもう少し深く考えてみます。
なぜ親切について書こうと思ったか
ブログに否定的だった私
実はブログをやることに否定的でした。
というのもブログなんて他人の時間を奪うだけじゃないかと思っていたからです。
ただ調べていく中でブログのメリットも理解しました。
簡単に言えば、ブログは作る側に何も損がない。
書くことやマーケティングの勉強になりますし、アドセンスやアフィリエイトなど利用すればお金にもなります。
そしてそれらが他人の役に立つことも決して少なくないと。
でもやっぱり自分が書いたものなんて時間の無駄じゃないかなーという意識が強いです。今でも。
すでに情報は溢れている
なぜ無駄か。
もうすでにネットの世界には情報が溢れているからです。
自分よりももっと上手に、もっと深く、もっと広く情報を発信している人がいます。
Googleなどで検索して困ったことはほとんどありません。
そんな状態で情報を足しても何の意味があるのか。
何が足りていないか
とはいえ、世の中は完全ではありません。
これまでも十分だの、限界だの言われてきた人類社会は成長の一途です。
生命の本質が繁殖なので当たり前と言えば当たり前なのですが。
足りているように見えて、足りていないものがあるはず。
そう考えて、思いついたのが「親切」です。
親切なら増えても問題ないかも。むしろいいかも。
実に単純な動機でブログをスタートさせました。
そもそも自分は親切な人間か
ブログを書く資格
大体ブログで世の中に意見を発信する人というのは、ある程度はその道に通じた人です。
というか役に立つブログを作っている方たちは、実績があったり能力があったり、主張を裏付けるだけの何かを持っていらっしゃいます。
その論理でいくと、親切をテーマにする以上は親切な人間でないといけません。
また何かの実績や能力が必要です。
たぶん普通な私
そこへ行くと私は、たぶん普通なのです。
取り立てて親切ではありませんが、ちょっとは親切をする。
必ず電車で席を譲るわけではないが、譲った経験は何回かある。
四六時中、親切のことを考えているわけではないけれど、日常のふとした瞬間に相手を思いやることはある。
たぶん、親切に関してはほとんどの方がそれくらいの感じだと思います。
書いても大丈夫?
自分より親切の実績や能力のある人はいる。
そんな自分が書く意味は何か。
これが意外とあったのです。
まずは親切について考えることで、今後より良い親切を行うことが期待できます。
次に過程を発信することで、同じように考えている人の参考になりそうです。
そして今はわからない、何か別の可能性にたどり着くのではないか。
確かに多くの情報の一つでしかないかもしれません。
しかし、もし価値があるなら検索上位に表示されて多くの人の役に立つでしょう。
そうでないなら下位に表示されるので、そもそも人の時間を奪わない。
そう判断しました。
これが私がブログテーマを「親切」にして始めた理由です。
なぜ親切より自由が大切と考えているか
親切は最上の価値ではない
ところでこんなに親切親切言っている私ですが、親切を最上位の価値とは思っていません。
あったらいいな、レベルです。
では本当に大切にしている価値は何か。
自由です。
なぜ自由を大切にするか
社会には色々な人がいます。
法律や文化、歴史、伝統などで概ねまとまってはいますが、色々な人がいるという事実は変わりません。
そこでみんなが快適に生きていくために必要なのが「自由」です。
みんなと違う考えを持っていても自由。
みんなと違う趣味を持っていても自由。
何を食べても、どこへ行っても、どんな仕事をしても自由。
逆を考えてみればわかりやすいですが、こうした事柄が全て強制されたらどうでしょう。
同じように考えてください。
趣味は決められたものを行なってください。
食べ物はこれ、住むところはここ、仕事は与えられたものをこなしましょう。
それはちょっと嫌な世の中だなあと思います。
自由を実現するために
自由を支えているものは何か。
法律ではありません。
みんなが自由を認めているという事実です。
お互いが何をしようとも「その人の自由だよね」と考えて、受け入れているから今の自由は成立しているのです。
もちろん完璧な自由というものはありません。
完璧な自由は他人の自由を侵害する自由もありますから、ここでいう自由はあくまでも一定の枠組みでの自由です。
それが今はとても広い。ほとんど完全な、無制限の自由じゃないかと思えるくらいに。
それくらい日本ではお互いがお互いの自由を認め合っているのです。
これからも親切をする理由
自由を認めるとは
互いの自由を認めるためには2つのことが必要です。
一つは自分の自由を主張すること。
もう一つは相手の自由を受け入れること。
自分がこうしたいと伝えない限り、相手はそれを許すことができません。
また相手がこうしたいと言ってくれない限り、こちらも受け入れることはできません。
自分と相手が意見を伝えて認め合って自由は実現するのです。
親切と自由
親切はこのうち相手の自由を拡大する効果を発揮します。
そして間接的にではありますが、自分の自由も認められやすくなるでしょう。
相手が自由になればなるほど、こちらも自由にできるのです。
親切をすることで相手は自由になります。
面倒な仕事が減ったり、そもそもやらなくて済んだり。
だから親切をしたい
自分の自由を主張するかどうかは、それこそ自由です。
私は現状でかなり満足していますが、周囲の人はそうとは限らないと考えています。
だからもっと親切をして、自由を広げたい。
今は使わないとしても将来の選択肢を増やすことは、得することはあっても損することがありません。
私にとって親切をすることは、周囲のためであり、相手のためであり、自分のためなのです。
まとめ
親切をする理由は人それぞれだと思います。
今回は自分自身の整理も兼ねて、私が親切をする理由を書いてみました。
これを読んだ方が改めて自分がどうしたいか、考えるきっかけになれば幸いです。
ではまた!
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