こんにちは。見習い研究員のHIROです。
具体的な親切シリーズを書いているうちに、ふと「これってマナーかも」という考えが浮かんできました。
確かにマナーと親切を比べてみると重なるところも多いように思えます。
今回はそんなマナーと親切について、共通点や相違点を考え、親切の本質に迫ってみます。
親切とマナーの比較
ということで、早速比較してみましょう。
あれ、意外と違っているような。。
詳しくみてみましょう。
共通点
強制ではない
どちらも法律のような強制力はありません。
自分の意思で行うかどうかを決めることができます。
行うことで好印象
どちらも行うことで相手や周囲の人に良い印象を与えます。
親切をしている人を見るのは心が和むものですし、マナーの良い人を見るとちゃんとした人だなあと感心します。
相違点
自主性の大きさ
自分でどの程度行うことを決めることができるかという点で違いがあります。
親切は行わなくても全く問題ありません。プラスにならない代わりに、マイナスにもならないのです。
一方のマナーは行わないことで周囲からペナルティを受ける恐れがあることから、状況によってはかなりの強制性を伴います。
例えば行列に割り込んでも、構成要件を満たさない限り、それだけでは犯罪にはなりません。しかし周囲からの白い目や不公平に感じた客からの抗議があるなどペナルティが想定されるため、通常やる人は少ないです。
誰のために行うか
親切は100%他人のためです。
自分にも見返りがある場合がありますが、あくまで副産物です。
それに対してマナーはペナルティ回避という意味で、マナーを行う人にとっても必ず利益があることです。
マナーが他者への配慮であることは間違いありませんが、同時に自分を守るという意味もあるのです。
工夫の余地があるか
親切は工夫の塊です。というか工夫しないとうまくいきません。正解はなく、相手や状況に応じた対応が必要であるというのはこれまでの研究日誌で書いてきた通りです。
一方のマナーは歴史的に育まれたプロトコル(決められた手順について定めたもの)の色合いが強く、別の最適な方法があったとしても優先される性質があります。
要するに「色々やり方があるのはわかっているけど、揉めるからこれを正解ってことにしよう」というわけです。確かに揉め事を納めて、平和に進めるには良い方法です。
ここから考えると、親切は具体的に相手に役立ち、マナーは周囲との調和に役立つということが言えるでしょう。
【仮説】マナーは制度化された親切?
ここからは仮説です。
多くのマナーも最初は親切だったのではないでしょうか。
それが時を重ねるにつれて制度化されていき、自主的に行うのではなく、行うのが当たり前の行為に。
ただし、どんな行いも全ての場面でいつも当てはまるとは限らないため、親切とは区別されて考えられるようになった。
そう考えると具体的な親切はいつかマナー化し、あまり人の役に立つようなものではなくなっていくのかもしれません。
親切をしたいという人には、常に相手にとって何が最良かと考え続けることが大切なんですね。
まとめ
親切もマナーも社会で生活していくには必要なものです。
親切をしないことにペナルティがないとはいえ、親切をしたほうが自分も相手も周囲もメリットがあることはこれまで述べてきた通りです。
マナーは一度覚えれば、そうそう変わることはないので、人生の早い時期に覚えておくと得かもしれません。
しかし親切は、形だけにならないよう、常に工夫し続ける必要があります。
今後もあなたの親切がアップデートできるよう、しんせつラボは研究を続けます。
ではまた!
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