こんにちは。見習い研究員のHIROです。
良いことをしようとすると、必ずやってくる自己批判。
その中でも「親切なんて所詮は自己満足」という考えは、誰しも一度は経験するのではないでしょうか。
今日はそんな不安について、どう向き合っていくか、考えていきたいと思います。
自己満足とは
定義
毎度お馴染みのgoo辞書で調べてみました。
自分自身に、または自分の言動に、自分で満足すること。
出典:goo辞書
意味自体は明確にわかりますね。
ここで注意したいのは、この表現には何らの肯定的・否定的判断が含まれていないこと。
単に満足するという行動や状態を表しています。
事例
親切における自己満足は割と探しやすいかと思います。
というのも親切をしたら大体気分がいいですから。
特に自己満足が発生しやすいのは「陰徳」と呼ばれるカテゴリーのものです。
一人で朝早く職場に来て掃除をする、誰もみてないところで洗剤など日用品の補充を行う。
相手はわかりませんが、自分以外の誰かの役に立つ。立派な親切です。
しかし誰からも評価されるわけではありません。自分がいいと思ったから、自分で満足できるから行う。正しく自己満足です。
なぜ自己満足ではいけないか
自己満足は批判的な文脈で使われることが多いです。
理由として挙げられるのが次の2つです。
他人の評価が入ってこない
自分は満足しているが、相手は満足していない。それどころか不満である。
自己満足の問題点は、しばしば相手の満足度が視界に入らなくなってしまうことです。
自分の世界だけでハッピーエンドとなって完結してしまいます。
あらゆる行為は自分と相手があって成り立つもの。
相手の視点を取り入れない限り、改善も進歩もありません。
最終的な結果が不明
自分がやったことだけ見ていると、最終的な結果に目が行かなくなります。
要するにやりっぱなしになってしまうのです。
行動は一つだけポツンと存在しているわけではありません。
前後の流れがあります。
その流れの中で、何か一つの行動をとっても、それだけでは良い・悪いの判断はできないでしょう。
前後の流れを無視して親切をしても、それが良いか悪いかは、実はよくわからないのです。
親切は自己満足か
どうやら自己満足には大きな問題があるようです。
では親切は自己満足の要素をどの程度含んでいるのでしょうか。
ほぼ自己満足
結論から言えば、親切はほぼ自己満足です。
いかに前後の流れを考えて行動しようとも、それは親切をしようとした人から見たものである限り、正しいとは限りません。
そのリスクを冒してでも親切を行うのですから、自己満足と言われても仕方ないところです。
例外
しかし例外もあります。
相手から頼まれた
相手から頼まれたことに対する親切は自己満足にはなりません。
確実に相手の役に立つことができるのですから、たとえその行為に自分が満足したとしても、同時に相手も満足しているのです。
大変理想的な親切の形と言えるでしょう。
自覚のない親切
自分としては特に親切にしたつもりはないものの、相手からするとすごく助かったということがあります。
例えば、たまたま知っていたことを教えたら喜んでくれたとか、いつも持ち歩いてるペンを貸してあげたら感謝されたとか。
この場合、親切をした時の自己満足はほとんどゼロで、相手は親切にされてすごく助かったと思っているので満足しています。
これもまた親切の理想形の一つと言えるでしょう。
自己満足だけではダメ
とはいえ、多かれ少なかれ相手の満足が得られるのであれば、自己満足で何か問題があるのでしょうか。
親切に自己満足はつきものです。そして他者評価もつきものなのです。
これまでの記事で、相手の視点に立って親切を行うことの重要性を語ってきたのは、自己満足によって見落とされがちになってしまうと考えたのが理由の一つです。
まとめ
親切は自己満足になるからダメだ。
一見正しいように思える意見ですが、これは半分しか当たっていません。
本当の親切はちゃんと相手のことを調べて考えます。
問題は相手のことをよく知ることが難しいということなのですが、まあそれはまたの機会に。
今回のお話で親切をしようとする人の不安が少しでも軽くなったら幸いです。
ではまた。
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