子供の頃から親切をした方がいいかどうか考えてみた

小学校の教室。たくさんの木製の椅子と教壇を横から写している
Photo by Jeffrey Hamilton on Unsplash

私が小学校の時に道徳の授業がありました。
様々な良い話、考えさせられる話がたくさん載っていて、今でも記憶に残っています。

しかし当ラボを立ち上げて、いろいろ考えていく中で「果たして子供の頃から親切をする必要はあるのだろうか」と疑問に思うようになりました。

ということで今回は子供の頃から親切をすることの是非について考えていきたいと思います。

この記事はこんな人にオススメです

・子供にも道徳や親切心は教えた方がいい

・親切さは教えることができる

目次

子供に親切心を教えて育もうとすることの是非

まずは子供に親切心を教えて、親切な人に育てようとすることについて考えていきます。
ここでは「賛成」「反対」「当ラボの見解」の3つをご紹介しましょう。

【賛成】子供の頃から親切な方がいい

世間一般では「子供の頃から親切な方がいい」とされています。
なにしろ文部科学省が決めたカリキュラムに入っているのですから。

親切さに限ったことではないですが、何が良くて何が悪いかを考えてもらうのは大切というのが賛成派の見解です。
強制はしないものの、考えるための材料をたくさん提供して、子供たちの良心を育んでいこうというわけです。

【反対】何が親切なのか、大人が決めつけるのはいかがなものか

おそらく少数派ですが、子供に親切さを含め価値観を教えることに反対の人もいます。

理由は「大人が何が正しいか決めつけるのはいかがなものか」ということです。
考えるための材料を提供するとは言っても、文科省という一種のバイアスがかかったものになります。

学校の授業時間という限られたわずかな時間ではなく、もっと長い時間をかけて徐々に考えて行動を通じて学んで言ってほしいというのがこちらの主張です。

【当ラボの見解】教え方による

当ラボの見解としては「教え方による」です。

学校で親切さを教えることに賛成とか反対とかいう前に、どのように教えるかというところが定まってなければ何とも言えません。

同じ教科書を使ったとしても、心に残るような、考えさせてくれるような授業をする先生がいます。

一方で特定の価値観を押し付けるために教材を悪用する先生もいます。

つまり教えることの是非の前に、誰が教えるのか、どう教えるのかの方が重要だということです。

子供の頃から親切をした方がいいか

次に子供が親切をすることの是非について検討してみましょう。
これも多くの人が「え、子供でも親切な方がいいんじゃないの?」と思われているかもしれません。
しかし実際にはもう少し複雑な問題が絡んでくるのです。

親切なことに越したことはないが

確かに子供といえども、親切ができたらそれに越したことはありません。

誰かを助けることで自信につながるかもしれないでしょう。
親切を通じて学べることがあるかもしれないでしょう。
人との関係をうまく作ることができるようになるかもしれないでしょう。

ただし全て「うまくいけば」という前提がありますが。

子供らしく振る舞うことの大切さ

子供に親切さを求めることは、その子の個性を潰すことになるかもしれません。

親切はあくまで相手目線。
自主的に行うことができれば何の問題もないですが、自主性が十分に身についていない子もいます。
その場合は決められた価値観に沿って盲目的に行動するということになりかねないでしょう。

一方で子供らしく振る舞うというのは、大人から見たら迷惑だったり邪魔だったりするかもしれません。

しかし子供らしく振る舞う中には、その子の個性が出てきます。

親切を長く続けるためには無理は禁物です。
自分らしさを活用した親切の方が継続性は高くなります。

だから子供の頃は、それに甘えて子供らしく存分に振る舞えばいいのです。
そして命や社会生活を営む上で危ない部分が見えたら、その時に教えてあげればいいでしょう。

自分で考え、自分で決める

大切なのは「自分で考えて、自分で決める」という主体性です。

子供の場合はこの部分が十分にできなかったり、周囲の影響を受けやすかったりするので、親切をすることを奨励するのはオススメできません。
最悪、いい子のふりをすることだってあり得ます。

拙速に親切をさせるよりも、まずは自主的に行動することを覚え、親切する自由を獲得できるよう支援するのが良いかと考えます。

大人になった後でも親切はできる

そもそも大人になった後でも親切はできます。
人生全体で考えたら大人の時間の方が長いです。
では詳細についてご説明しましょう。

過去は問題ではない

親切することにおいて、過去に何があったとか、どう振舞っていたかというのは問題にはなりません。

なぜなら次に親切をする相手には何の関係もないからです。

過去の成功は、未来の成功を保障しません。
過去の失敗も、未来の失敗を保障しません。

過去は過去、今は今というわけです。
だから子供の頃に親切できなかったとしても、それはそれとして今後に親切を行っていけばいいということになります。

いつでも親切はできる

いつでも親切はできます。

過去のことでクヨクヨすることも、未来に備えて子供の頃から親切をすることも、あまり意味のある行動ではありません。

どんな人でも、どんな状態でも、どんな過去があっても親切はできます。
人間の自由な意志がある限り、どこからでもより良い行動を選ぶことはできるのです。

まとめ

・子供の頃から親切をする必要はない

・主体性を育み、自由に親切ができるようにする

・いつでも親切はできる。自由な意志がある限り

ではまた!

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