嫌いな人に親切をするのは却って偽善的な行為なんじゃないかと悩むのが無駄な理由

他人に対して好き嫌いがあるのは当然のことです。

嫌いな人に対しても親切ができたらいいのですが、難しければ無理をしない方がいいでしょう。

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しかし好悪の感情を乗り越えて、親切をしても別の問題が出てきます。

「したくもない親切をするなんて、偽善じゃないのか」

いやー、どこまでいっても問題は出てくるものです。

でもそう考えることは、時間の無駄かもしれません。

今回は嫌いな人に対する親切ができた後に起きる問題について考えます。

この記事はこんな人にオススメです

・自分の親切は偽善なんじゃないかと悩む

・他人に対して好き嫌いの感情を持つのは良くない

目次

人に対する好き嫌いは変わる

そもそも人に対する好き嫌いの感情は変化します。

どういうことか、以下ご説明です。

好き嫌いは一時的

好き嫌いは感情です。

感情は一時的なもの。

後から起こる出来事で簡単に変わっていきます。

特にポジティブなものが、ネガティブな評価になることは多いです。

比較的少なくはなりますが反対のケースも存在します。

嫌いな人を好きになることはある

理由にもよりますが、嫌いな人を好きになる可能性はあります。

例えば嫌いになった理由が全くの誤解であったり、その人の良い面を知ることができたり。

こちらの姿勢や考え方が柔軟であればあるほど、そうしたことは起きやすくなるでしょう。

慣れてしまえば好きでも嫌いでもない

相手を嫌いになった原因は何なのでしょうか。

相手の言動、性格、価値観。

何かしらのきっかけがあったと思います。

しかしそれが永遠に作用することはあまりありません。

長く付き合っていくと、だんだんと慣れていきます。

相手の嫌なところも慣れてしまえば、好きでも嫌いでもなくなります。

そうなると精神的に余裕ができて、意外とうまく付き合えることも。

親切に偽物はない

次に嫌いな人に対する親切が偽善かどうかについて考えてみましょう。

真偽を問うことに意味はない

結論から言えば、本物か偽物か問うことに意味はないです。

理由は以下の2つになります。

相手の役に立てば親切

こちらの心の状態に関わらず、相手の役に立てば親切です。

こちらの心の中は相手から見えません。

他の方法で測ることもできません。

できないことにこだわっても成果は出ないでしょう。

相手から感謝されれば親切

相手の役に立ったかどうかの指標として優れているのが、感謝です。

相手が嘘をついたり、こちらに気をつかったりすることもありますが、少なくとも感謝されることで何もしないより効果があることが強く推測できます。

大雑把ではありますが、相手から感謝されれば親切はうまくいったと考えて良いです。

何かをして悩むのは普通のこと

最後に悩むことそのものについて考えます。

初めに答えを言わせてもらえれば、「何かをして悩むのは普通のこと」です。

それでは理由についてご説明しましょう。

確かなことは少ない

日常の中で確かなものは少ないです。

何かしらの誤解があったり、違う面が見れていなかったり。

私たちの認知能力には限界があります。

あとで評価が変わる

同じ事実でも解釈が変わることはあります。

有名な例え話ですがコップの中に半分水が入っているのを見て、

「もう半分しか水がない」

と思うのか、

「まだ半分も水が残ってる」

と思うのかでは大きな違いがあります。

後から起こったことに合わせて、それより前に起きたことについての認識が変わることはよくあることです。

悩むくらいでちょうどいい

そもそも何も悩みがないというのは良いことなのでしょうか。

むしろ悩みがなければミスや欠陥に気づくことがなく、大きな損害につながる可能性があります。

そう考えれば、ちょっと悩むくらいでちょうどいいバランスが取れていることになるでしょう。

悩むことに耐える力こそ、親切で求められる資質の一つです。

まとめ

・人に対する好き嫌いは変わる

・親切に偽物はない。相手の役に立って、感謝されたらOK

・悩むのは当たり前。それに耐えて、より良い行動が取れるようにしよう

ではまた!

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