良いことをしようとすると、芽生えてくる感情の一つに罪悪感があります。
疑うことなく行動ができれば良いのですが、人間は自分の心の動きがわかります。
「今、このひとに好かれようとしてやってるな」
「本当は自分が得したいだけなのに」
今回はこうした利己的な理由で親切をしても全く問題ないと言うことをお伝えします。
どんな利己的な理由で親切をしてしまうか
どんな人間も相手の利益100%で動くことはありません。
ここでは利己的な理由としてどんなものがあるか見てみましょう。
周囲との関係を良くしたい
まずは人間関係です。
良いひとは好かれますし、尊敬されたり感謝されたりします。
こうした要素を一切排除して親切を行うことはなかなか難しいです。
親切をする側もされる側もそれを理解しているから、
「好かれたいと思ってやっているんじゃないか」
と疑ってしまいます。
一方で、
「この人たちといい関係を築きたい」
と思うこともごく自然のことです。
金銭的に得をしたい
親切をすることが金銭的な利得につながることがあります。
例えばビジネスの中で行う親切がそうです。
お客さんに良い接客をしよう、良い商品を作るために工夫しよう。
本来はしなくて良いこと、考えなくても良いことであっても、相手が喜んだり相手の役に立ったりすることをしようとするのは親切さの現れです。
それ自体は無償で行われたとしても、将来的なビジネスの成功、つまり収益の増加を期待していないとは言い切れないでしょう。
貴重な経験を積みたい
時として他人に対する親切そのものが貴重な経験になることがあります。
例えば引っ越し先を探す友達の付き添いをした場合。
相手が物件探しを大変なことだと考えているとしましょう。
そうなると付き合ってもらえること自体が嬉しいですし、物件についての客観的な意見をもらえるのもありがたいです。
一方のこちらからすると、特に引っ越す予定はないので気楽な立場で見学ができます。
それどころか普段検討もしないようなタイプの物件を色々と見れるので、面白いと感じるかもしれません。
メンタルを改善させたい
最後はメンタルの改善です。
他人に対して親切を行うと、精神的に良い効果があることは、よく知られていることです。
経験的にも人の役に立てれば、自信や自己効力感につながります。
周囲との人間関係を良好に保つことも、メンタルに良い影響があるでしょう。
気分が沈んだ時ほど、他人に親切をしたくなるという人もいるくらいです。
利己的な理由で親切をしても問題ない
では利己的な理由で親切をするのはいけないことなのでしょうか。
いえいえ、そんなことはありません。
以下問題ない理由を解説します。
心の中は自由だから
人間の心は自由です。
相手が心の中で何を考えているかは、知りようがありません。
知ることができないのですから、心の有り様をもとに罰することもできないのです。
だから心の中では何を考えていても良い、自由であるという考え方に至ります。
これを「内心の自由」と言います。
内心の自由があるので、人はどんな利己的な動機を持って行動しても、動機の理由によって罰せられることはありません。
こちらが利益を得ても相手は損しないから
利己的な考えと行動で、こちらが得をしたとしても何の問題があるのでしょうか。
問題が起きるとしたら、それは自分以外の人間が、損をした時です。
でもちゃんと親切をしていれば、相手は喜び利益を得ることさえあります。
こちらが利益を得たとしても、相手の損失になるとは限らないのです。
それどころか多くの場合では、意識的にせよ無意識的にせよ、利益を分け合うことによってお互いが得をするのです。
親切に変わりはないから
利己的な理由であれ、純粋な親切心や優しさ、慈悲などの良い理由であれ、親切に変わりはありません。
こちらに何か下心があったとしても、相手の困りごとを解決したり役に立ったりできれば、それで十分なのです。
注意点
利己的な理由で親切をしてもいいことはおわかりいただけたでしょうか。
ただ、1点注意してほしいことがあります。
利己的な理由を相手に知られるのは避けよう
利己的な理由そのものを相手に知られるのはオススメできません。
問題ないと言うのはあくまで、実用面から考えたものです。
心証という意味では、こちらが得をしているとことさらに強調することは、相手にとって良くない印象を受けるかもしれません。
余計なことは言わず、親切をすることに集中しましょう。
そしてもしメリットがあるなら、黙って受け取ることがみんなで気持ちよくいられるコツなのかもしれないですね。
まとめ
・利己的な理由で親切をしても良い
・こちらの動機は親切の効果に影響しない
・ただしこちらが得をしているような言動は、事実だとしても慎もう
ではまた!
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