親切をしたくない人のための弁明

こんにちは。見習い研究員のHIROです。

今日は「親切なんてしたくない!」という人を最大限擁護したらどうなるか、という思考実験をしてみたいと思います。

目次

なぜ親切をしたくない人を擁護するか

こんなブログを書いているので、ここまでの投稿を読んだ方は「親切することを押し付けているの?」と思われるかもしれませんね。

しかし、そんなことはありません。

親切をするもしないも、あなたの自由。

親切を増やしたいというのは単なる私の希望です。

ちなみに意外かもしれませんが、私は親切と自由を比較した場合、自由に価値を置いています。

それでは以下で不親切派の皆様に投げつけられる批判に対して、弁明していきましょう。

「親切をしたくないなんて冷たい人だね」

それがどうかしましたか?

・・・で終了にしたい所ですが、それだと今日の思考実験は終了してしまうのでもう少し考えてみましょう。

この場合、「冷たい人」というのがポイントです。

つまり親切をしたくないだけであって、イコール冷たい人間というわけではないです。

親切をしたくないという理由が、真心や善意から出ていることだってあり得ます。

「親切をしたらいろんなメリットがあるよ」

巷間言われていることですが、親切にはさまざまな効果があります。

ざっくりまとめると、抗炎症効果とメンタル改善です。

しかしそれは親切だけがもたらすことのできる効果ではありません。

食事や運動、睡眠、人間関係。

これらを改善しても効果は得られます。特別に親切をする理由とはなりません。

「あなたは親切にされたことがないの?」

大抵の人は親切にされた経験があるでしょう。

何しろそれくらい世の中に溢れているものです。

しかし親切にされたのだから、それを世の中に返すことが義務であるかのように語るのはいかがなものでしょうか。

結果として恩返しを受けるならいざしらず、直接的に見返りを求めることは親切と呼べるのか。

それは商売や取引と呼ぶのではないでしょうか。

じゃあ親切なんてしないほうがいい?

それを判断するのは、私たち一人一人です。

親切しても冷たい人と思われるかもしれない。

何もメリットがないかもしれない。

見返りを求めてしまうかもしれない。

だから「親切なんてしない」という選択肢は、損失回避という点からは、かなり合理的な判断と言えるのです。

だから判断は個人で違って当たり前なのです。

親切と自由

親切は誰かに強制されるものではありません。

自由意思で行うものです。

親切にしたいから行う。

したくなければしなくていいのです。

幸い、どちらを選らんでもいい自由が私たちにはあります。

だから自由の方が高い価値を持つのです。

だから親切をしなくてもいいのです。

親切にしたい人が、親切を行う自由を守るために。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

親切しない=悪いことではないということがご理解いただけたでしょうか。

親切が増えて欲しいけど、義務とか強制とかはいかがなものでしょう。

えーっと今日はここまで。ではまた。

【工事進捗】

・特になし。

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