こんにちは。見習い研究員のHIROです。
以前の記事で親切はあんまりアピールするものじゃないですよ、とお伝えしました。
しかし自分の親切が無視されると悲しく感じるのが人間。
「誰にも知られないのに、親切する意味あるんだろうか」
今回はそんなお悩みについて考えていきます。
世界は気づかれない親切だらけ
溢れる物語
あなたのすぐそばにあるモノ、なんでも良いので手に取ってみてください。
それ、どうやってあなたの手元に来たか、説明できますか?
極めて単純だと思っているコップ一つでさえ、私もあなたも、いやほとんどの人は詳細に説明することができないのです。
例えば、次の質問に答えてみましょう。
・そのコップは何でできていますか?
・どうやって作られましたか?
・誰が作りましたか?
・いつお店に出荷しましたか?
・誰があなたにコップをくれましたか?
おそらく答えられても最後の問題くらいかと思います。
しかし、そのコップがあなたの手元に来るまでには、何人もの人が関わっていることは想像ができるでしょう。
その人たちは次のようなことをしてくれた可能性があります。
・製品企画の段階で滑りにくいデザインに変更してくれた
・製造段階で機械の故障があったが、納期に間に合うように休日返上で修理を行ってくれた
・わずかな印刷不良があるものが大量に見つかったが、検査基準を緩めてそのまま出荷することにした
・商品パッケージを簡素化することで、店舗での陳列を行いやすくした
・いつも頑張ってくれているあなたに喜んでもらおうと思って、お気に入りのキャラクターが描かれたコップを買ってきてくれた
どうでしょうか。
ひょっとしたらあなたにはコップを買ってきてくれたことしか気づかなかったかもしれません。
知る方法はない
とはいえ物語を知る方法はありません。
もちろん跡を追いかけることによって、多少知ることはできるでしょう。
コップをくれた人に話を聞くとか、工場見学に行くとか。
しかし本当のことを伝えてくれるとは限りません。
親切をした人たちも気がついていないことがほとんどなのです。
「その方がいいと思ったから」
「いつもしていることだから」
親切をしたという自覚がないことは決して珍しいことではないのです。
視点の違い
親切は行動です。
それが態度にせよ言葉にせよ、必ず行う人と受ける人が存在します。
ここで大切なのはお互いの意図は見えないということです。
コップの例も、作る側の人たちは別の意図を持って行動した可能性があります。
例えばデザインを変更したのもユーザーのことを考えての行動かもしれませんし、自分が気に入らないデザインだったので修正しただけかもしれません。
さらに事情が複雑になるのは、人は複数の意図を持つことがあるということです。
このため次のような行動が生まれるのです。
・親切にしようと思って行った、親切なこと
・親切にしようとは思っていなかったが、結果的に親切になったこと
・親切にしようとする思いに加えて別の思惑もあったが、結果的に親切になったこと
もちろんこれらは反対の結果もあり得ます。
すなわち多少なりとも良い動機を持っていたが、結果として親切とは思われなかったことです。
このように親切には自分ではどうしようない部分が存在します。
気づかれない親切の意味
気づかれることの意味
親切に気づいてもらえるのは、100%相手のおかげです。
相手がこちらを見ていない限り、あなたにはどうすることもできないからです。
自分で伝えればいいじゃないかと思われるかもしれません。
「私はあなたのためにこういう親切なことをした」
それで相手はあなたの行動に気づくことはできます。
しかし親切だと感じるのは、相手の側の自由なのです。
あなたが丁寧に説明しても相手はあなたの意図を悪く受け止めるかもしれません。
「何か下心があるのではないか」
「何か企んでいるのではないか」
繰り返しますが、どう考えようが相手の自由なのです。
気づくことの意味
一方で親切に気づくのはあなたの自由です。
親切に気づくことで、あなたは世界の見え方を変えることができます。
これまで1つの視点でしか見えなかったものが、いくつもの可能性に気づくことができるのです。
あなたの親切に意味がある
結局のところ相手が気づくかどうかより、あなたがどうしたいかが重要なのです。
もちろん、
「どうしても感謝して欲しい」
「相手に良い人だと思って欲しい」
と思うことも自由です。
ただし、これらが目的であっても行うことは同じです。
気づかれない可能性を抱えながら親切にするしかありません。
しかし大切なのはあなたの親切は無意味ではなく、単に気づかれていないだけという事実です。
まとめ
・ほとんどの親切は気づかれない
・親切の多くは人が見てない場所や時間で行われる
・相手が気づかなくても、あなたの親切には意味がある
ではまた!
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