こんにちは。見習い研究員のHIROです。
「助けを申し出たいけど、どこまで手伝えばいいのだろう」
「自分ができることで何とかなりそうかな。いや、自信ないな」
普段、親切をする中でこんな場面はないでしょうか。
こうした考えの背景には
「親切をする以上はきちんとやらなければいけない」
「完璧にできなかったら親切じゃない」
という気持ちが潜んでいます。
今回は親切をしたくても一歩踏み出せない原因の一つ、「完璧な親切にしたい」問題について考えます。
親切に完璧さは必要か
必要
親切をするときに完璧さが必要という意見の理由としては、
・ちゃんと手伝えなかったら意味がない
・相手に迷惑になる
・自己満足になってしまう
・役に立てない
などがあります。
要するに完璧じゃない=役に立てないというわけです。
不要
一方不要という意見の理由は、
・何を持ってして完璧というのか
・スピードが必要な場面もある
・役に立てなくても、親切な態度だけで嬉しい場面もある
・完璧にやろうとする姿勢の方が自己満足だ
などがあります。
要するに「完璧なんてできないのだから、気にせず親切しよう」というわけです。
完璧な親切とは
そもそも「ちゃんと」「完璧に」「役に立つ」というのはどうやって決めるのでしょうか。
親切をした相手が決めることではないでしょうか。
こちらができるのは精一杯考えて、一番いいと思ったことをするだけです。
それが上手くいって、受け入れられて初めて完璧な親切になります。
でもそれは相手次第ですから、自分にコントロールできることではありません。
できたらいいですが、できなくても気にすることはありません。
完璧さは目指してもいいことではありますが、必ず達成しなくてはいけないことではないのです。
完璧さの次に目指すもの
相手がどう思うかはわかりません。
では私たちはどうしたらいいのか。
行動する
とにかくやってみないことには何も始まらないです。
失敗を目指す必要はありませんが、大きく成功しようと思う必要もありません。
相手が「あ、助かるな」と思うくらいでいいでしょう。
なぜなら私たちは日常でほとんどの親切をスルーしてしまっています。
相手の意図が読めずに、気が付かないのです。
気づいてもらえるのはかなり大きな親切になります。
考える
相手の状況やどうしたら助けられるかを考えることも大切です。
完璧を目指す人はこちらの方が実行しやすいかもしれません。
意識しないと相手のことを考えるよりも、自分のことを優先しがちになってしまいます。
これは相手が発するシグナルよりも、自分の脳や体が発するシグナルの方が大きく感じるからです。
しかしそれがわかっていれば、注意を相手に向けることができます。
それこそ完璧ではないにしろ、ある程度は考慮できるのです。
積み重ねていけば、徐々にではありますが自動的に相手のことを考えられるようになるでしょう。
準備する
いついかなる時も親切をする必要はないです。
じっくり自分の能力を磨いて、次の機会に向けた準備をすることも大切です。
それにいつも行動してばかりではどんどん消耗するばかり。
休息も親切のための立派な準備です。
まとめ
・完璧さを求めるのは、相手があることなので難しい
・自分にできることを精一杯やればそれでOK
・いつも親切に、よりいつでも親切にできるよう準備しよう
ではまた!
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